女に生まれてよかった、の悲しみ

ずっと「女でまあよかったかな」と思って生きてきたけれど、その考え方自体に根付く自分の中にある「女として生まれたこと」への巨大なコンプレックスに気づいてしまったので気持ちの整理代わりに書こうと思います。はきだめなので文章に脈絡がないところもある。


私は今まで自分が生きてく上で、女らしくいようと自分で思って努力や我慢もしてきたけれど、女らしいこととか女として良いと褒められることが、はたして本当に自分の望みだったのか分からなくなってしまった。

わたしは本当にかわいくいたいのだろうか、ということに、もうずっと悩まされている。



女らしく、を気をつけて生きてきた。
はめをはずさない。失敗をしない。常に愛嬌をもって、笑顔で、かわいく、楽しそうに。男女共にうけるような、シンプルかつ可愛らしい服とメイク。

でも同時に、そういう性別意識を自分以外に強要しちゃいけないことはわかってる。女らしく、も、男らしく、も、やりようでは性差別と紙一重になる。
結構の人にとって、女らしくあれ、って苦痛が伴うものであると思うから。

それでもなんで私が私自身に「女らしく」「かわいく」「愛嬌」を強要するのか、
それは、現実は性別で差のない世界の実現なんて無理だし、という気持ちが、経験上どうしても真実だと思ってしまうから。
女らしさを使って我慢すれば、女としての価値が上がって生きやすくなることを知っているから。
それが人間の歴史の中で、女にとって唯一揺るぎない正義で、唯一振りかざせる強さだから。
人間だって動物だから。
女らしさを求めるのは本能で決められた基準だから。

悲しい真実に気づいてしまった。変わらない現実への絶望感がすごい。
現実主義なせいで、じぶんの意思を押さえ込んで女でいることが、私の望みになっていたんだと思う。


でも、私は自分を抑えて手にしたなけなしの女らしさを捨てることはできなくて、きっと一生性別意識を持ち続けるのだろう。
そういう自分は理論的にも正しくなくて、感情的にも好きじゃなくて。
でも現実的には賢いやり方なんだと思ってしまう。


自分評価(という名の絶対評価)では見た目も並以下だし、だからこそ無理にでも女らしさとか愛嬌は必要だとわかってるし、それも一々意識してないくらいには染み付いてしまったものだけど、
「可愛くいたい」と思ってるのか「可愛くいなければ」と思ってるのかの境界線が見えなくなってしまった。



女らしくいたいと思うと同時に、女らしさを強要されるのは吐き気がする。

それが私の場合ひどい。
重度も方向性もひどい。
いいな、と思ってた人がいても、自分に恋愛感情を向けられると、女としてではなく人間として見て欲しかった、と落胆してしまう。
ほんと、冷静に考えれば、別に女としてどうこうじゃないのもわかってるけど、恋愛感情がすっと引くからどうしようもない。
そもそも自分が恋愛感情を抱くことに嫌悪感が拭えないし、恋愛感情を本人に知られるのは申し訳ないと思ってしまう。

恋愛、という枠にはまるのがどうしても男女の強要に感じる。
自分が女らしくなければと思ってかわいくしているのに、我ながらヤベーなコイツとは思うけど。
本当に色々自分の恋愛感は迷惑でどうしようもないね。けど、頑張ったけど無理だった。なんかもう疲れた。
現実の壁を感じる。


こんなこと言うとものすごく印象悪いから誰にも相談できないけど、「かわいい」と言われると「かわいくなければ価値がない」「女らしさしか価値がない」と言われたように感じて怖くなる。
だからこそ、「可愛くいなければ、可愛くいたい」の脅迫に追われて、でもどれだけ走っても走っても自分の納得できる「かわいい」には永遠に追いつけない。
自分が「かわいい」である事は有り得ない。
だから「かわいい」を求めてるのに「かわいい」と言われれば言われるだけ苦しくなる。

褒められるとき1番に「かわいい」がでてくる女になりたくない。薄っぺらい。もっと人間性を見て、褒めてもらえるようになりたい。
でも私が持っているのはかわいい、しかない。
そのかわいいも、自分の顔面の現実くらい分かってるわ、って思って嬉しくない。


かわいい、には根拠がない。定義の揺れがある。
顔面に加えて性格とか性質が入る。
顔面のかわいいは揺るぎない現実的判断かもしれないけど、後者はなんかもう、ほんと定義がない。前者をもってない人間へのかわいいは、本人が納得出来ない限り、無効だ。あるいは脅迫だ。



かわいくいてね。



外からも中からも聞こえてくる声に動けなくなる。
動けないでしとしと泣くしかない。

つらいなぁ。

女に生まれて、わかりやすい「女らしい」という価値があってよかったなぁと思っていたけど、
それは、自分が「女らしい」という価値にどれだけ縛られて、すがりついていたのかってことだった。

現実は、有名大学に入っても、いい所に就職しても、結局「かわいくいなければ」だった。

呪いだ。

女として生まれた呪いだ。


女の呪いに気づかないで、発症しないでいたかったんだけど、皮肉なことに、女子高で過ごした3年間が、卒業後の私に一生病気を発病させたのかもしれない。

女だけの世界には、「女らしさ」がなかった。
ひたすらに自由で楽しくて、我慢のひとつしないで、みんな好きに生きて、強く生きて、自分らしく生きて、ほとんど全員が、数字で言うと9割9分以上が、恋愛を必要としていなかった。

戻りたい。性別へのコンプレックスのない環境。人が誰しも人間として内面に手を伸ばしあってる、普通の世界。

今日見たものを、言葉にするのは難しいけれど

今日見たものを、言葉にするのは難しいけれど、

 




推しの卒業式は、グループの新たな始まり。

今日のイベントは、あっという間に終わってしまった。1曲だけの披露、自己紹介とメンバーから本当に一言のエール、「わがまま」、そして、見送りの曲中に推しは旅立ち、残りのメンバーからの2曲の披露。分かっていたけれども呆気なくて、卒業を終えて旅立っていく推しを見送ったあと、心がごちゃごちゃのまま4人のPLAYを見つめていた。コールしなきゃとかペンラ振らなきゃとか、頭では分かっているけれど胸がいっぱいで余裕が無く、実際出来ていたかあんまり覚えていない。

今日の卒業イベントは、意外だった。私の中のアイドル卒業シュミレーションと言ったら、メンバーも卒業する本人も泣いて寂しがって卒業を惜しんで、それでも精一杯卒業を祝って背中を押す、青パターンと、メンバーみんな笑顔で、今まで通りにふざけて笑って楽しく送り出す、橙パターン、その2つしかない。なんせアイドルを応援するのは初めてなもんで。

でも今日はどっちでも無かった。今日の卒業式のメンバーは、笑顔を作っていた。正確に言えば、笑顔を作ろうとしていたが繕いきれていなかった。

 

考えてみれば卒業の数だけパターンがあるのは当たり前だけれど、黄パターンに心構えが出来てなかった私は、見たあとに言葉を失ってしまった。

 

 

でも、今日の卒業イベントを見て、推し卒業についてモヤモヤしていた全てが納得できた。

推しはもう、ずっと何ヶ月も活動に参加していない。




って所までで下書きに入ってたのを今見つけた。何を書こうとしてたか全然覚えてない、続きが気になるなぁ〜

文字にしていまの気持ちを残すって大切だなって思った。

もうすぐ推しが卒業発表してから一年経つ。たまにはグループのTwitterとか見られるようになったし、これからも不安はあれど推していくつもり。

いつまでも推しが幸せでありますよう。


推しのカノバレに萌えたんだけど

推し舞台の推し役がカノバレ炎上した。
今までカノバレって対岸の話だったというか、何年も推してる人ではないとはいえ今まさに熱が上がってる人が炎上するのは初めてだった。けど、実際想像より全然ショックじゃなかった。
ていうかむしろ、逆に興奮した。彼女がカンパニー内だったからなんだけど。これで知ってる人はすぐ分かっちゃうね。まあ今回は名前は出しません。
興奮した、というのも、バレ写真で知った瞬間、「えー!!なにそれ萌えるんですけど!!!」と考える前に口からついて出たので多分素直な感想それだと思う。恋愛でメロメロになってる片鱗がバレ写真から見れてめたくそ可愛いかったし、ありがとうございますって天を仰いだし、その後数分はジタバタした。もっとくださいって思った。同じ写真みても、バレ前より俳優が100倍かっこよく素敵に見えた。

でもまあ当たり前なんだけど、TLは死んでたよ。一般的な感想だと思ってて遠慮せず萌を呟いてしまい今となってはちょっと申し訳ない気持ちもある。自分でもびっくりするほどに世間との反応がズレてて、とんだハッピー野郎に生まれてしまったもんだべとも思っている。思ってはいるんだ。わかってる。誰かの萌は誰かの萎え。

だけどさあ!!!!私の萌をTLで散々けなされ続けるの!!!めちゃめちゃつらいんですけど!!!!二人の関係のみならず!!好きな人までけなされ続けてさぁ?!舞台上の彼、つまり推しキャラが、舞台に存在してるのをけなされ続けてさあ?!?!?!わかってるよ失望したとかさぁ!!!!大半の反応だし言いたくなるのもわかるけどさあ!!!!!!私は萌えたし彼が舞台に出てきたら否応なくテンション上がるし萌え死ぬのよ?!!!なんで人の興奮を下げるようなさ〜〜〜ネガティブなこと平気で言えんのさぁ〜〜〜!!!!!!!!!くそーーー!!!!!!!!!!!!!



………や、わかってます。好きなこと思ったことを呟くのがTwitterランドですよね。合わなかったらそっとブロックやミュートが礼儀ですよね。はい。そう思って私も、1度は言ってる人全員ミュートした。
でもね、そしたら、推しについて呟いてる人がTLからいなくなったの。

…………それは寂しいやん。

ええ、ええ、そうです。ただすねてるだけです。今まで萌えを共有してた人達が揃いも揃ってみんな地雷原になってしまったから。
推し役のカノバレという大災害のなか、せっかく1ミリもメンタルやられずに済んだのに、結局もやもやしちゃってる事にもやもやしてる。

吐き出したら楽になるかなとか、もしかしてもしかすると同士がいるんじゃないかな…とか、そんなことをおもって書いた。はぁ、スッキリした!

今週末推しがアイドルを卒業する

多分、推しが卒業する今週末で私は現場を降りる。約1年半、世間のアイドルオタクとしては短いのかもしれないけれど、私にとって彼らを大好きだった時間は、ちゃんと長くて濃くて胸がぎゅっとなるキラキラした時間だった。大好き大好きで胸が苦しかったし、毎日目が離せなくて毎回のライブが特別だった。彼らとならどこへだってたどり着けると信じていたし、彼らも夢をたくさん口にし、そして叶えてくれた。

 

そのキラキラドキドキと、今の彼らに対する思いが、どうしてこんなに遠くなっちゃったんだろうと思うと、すごくかなしい。

ガッカリするほど下手な運営と、グループを自分のエゴと切り離せない、体だけ大人になってしまったようなPの暴走と、いつも何か「終わり」や「ファンの不満」や「売れないこと」に足を取られながら、何でもないように役を演じ続けるメンバーと。そして、推しが好きだから文句を言わないでついて行くしかないファンの「それでも大好きだよ!」。

ここ1ヶ月ほどで、特にそれが露呈するような出来事が立て続けにあった。今までは毎回嫌悪感で胸が抉られて、でも好きでいたい気持ちで押し黙っていた。嫌悪を言葉にしてしまったら本当に戻れない気がしたから。ストレスではあったけど、メンバーは魅力的で大好きだったから、考えないようにすればまだ好きでいられた。

でも、だんだん、またか、と呆れて終わるようになった自分に気がついた。感情が動かなくなった。モヤモヤすらしなくなった。この前はついに、必死になってるPやメンバーやファンの様子が滑稽で笑ってしまった。

完全に自分が外側の人間になってしまったのを感じた。そして、何ヶ月も殆ど活動に参加してない推しも、多分もう外側であるのだと気づいた。

虚しい。悪い方にすら、心が動かされない。

 

卒業イベントは、1曲だけの披露。発表は1週間前。多忙な中で都合を付けてくれたって感謝するツイートと、大切な卒業の扱いが雑すぎるって怒るツイートに溢れたTLを、どうでもいいやって思いながら、でもなぜか全部ちゃんと読んだ。

 

推しの卒業。4年間も活動して、推しの人生で大切な時間と感情を割いた、大事な大事なことなのに。楽しみでも悲しくも感慨深くも感じない、ただその日に卒業があるのかという事実だけ頭の中にある。

実感がないのではなくて、負の感情が大きすぎて考えないようにしているのかもしれない。だって考えたら、推しが大好きなグループを卒業して寂しい気持ち、だとか、メンバーやファンに惜しまれつつ最後まで精一杯アイドルをして卒業する推し、だとか、そういう「幸せな卒業のテンプレ」をどうしたって迎えられない事実を感じてしまうから。

 

寂しい気持ちより、よかったなって思ってしまった。いや、そんな綺麗な感情じゃないのかもしれない。Pざまあみろ、かもしれない。推しだけでも逃れられてよかった、かもしれない。思いたくない言葉がどんどん浮かんでは、ひきちぎれてしまった頭と心に虚しくなることをずっとしている。

 

卒業という、推しのアイドル人生における最後で最大のイベント直前になって、あのキラキラしていた時間が、グループに対しての「大好き」の輝きが、消えてしまった。まだ大好きでいたいのに。メンバーのことは好きなのに、もう見るのも辛い。多分もう、純粋に彼らのキラキラを浴びることは出来ない。

そうやって、もう手放しで大好きでいるのができなくなってきている、けどそれに反して、グループを降りることは辛い。私が嫌いになったのはメンバーじゃなくて、グループのあり方だから。

私1人ファンやめた所で変わらないのは分かっている、でも、彼らが今まで見せてくれたファンひとりすらを大切にする姿勢を、その努力を、裏切ることが辛い。

そして何より、残された彼らがこれからもPの夢の為のアイドルをやらされると思うと辛い。それを見捨てるのが辛い。アイドルという宗教に洗脳されて、このグループを信仰するようにまるで「ここだけが自分の夢の場所」であるかのように育てられ、努力し続けていくメンバーが辛い。これからも虚構の夢を与えられながらメンバーは苦しんでいく、それを美しいとは思えない。アイドルが思い悩み苦しむことを、エンタメとして楽しむことはできない。だってそこには、生身の人間の人生がかかっている。

 

素直な気持ちは「解散したらいいのに。」

そう思ってしまう時点で、応援する資格はもう、私には無い。

 

 

今日のライブは行けなかった。でもどうしても気になってTLを見ていたら、最っっ高だった!という人と、辛くて見ていられなかったという人と、両極端に分かれていた。行ったほうがよかったのか、行かなくて正解だったのか。行ったら昔のように、大好きで溢れて帰ってこれたのかもしれない。でも辛い思いをして帰って来るだけかもしれない。それならもう、出来るだけ考えたくない。彼らのことを忘れてしまいたい。

 

初めてアイドルを好きになって、この1年半は本当に楽しかった。でも多分私はこれから一生、アイドルを「真剣に」応援することはないのだろうと思う。

彼らがくれた特別な感情を、私はどう処理していいか分からない。メンバーは大好きなのだ。それでももう、私に応援することは出来ない。

 

彼らを応援することで毎日幸せそうに生きているファンの呟きを見る度、羨ましくてたまらない。自分勝手なことを言えば、これからもどうか彼らを見届けてあげてほしいし、幸せにしてほしい。

私も今週末は、笑って彼らを見守りたい。どうしたって辛いだろうけど、頑張って笑顔で推しの卒業を見届けます。